のせでんアートライン2019 避難訓練

COLUMN

#6

インタビュー2019/10/21

渡邉朋也 a.k.a. なべたんインタビュー
インターネットのロマン、壁新聞、落合博満

渡邉朋也 a.k.a. なべたんインタビュー

のせでんで見つけたフロンティア

―リサーチをしているなべたんさんと一度、能勢ですれ違いましたけど、自転車で駆け回ってましたね。

なべたん:そうですね。わりとのせでん沿線のリサーチは自転車を使ってましたね。川西能勢口にレンタサイクルがあって、それをよく使っていました。

―川西能勢口から妙見口まで自転車で!?

なべたん:6月以降、月1~2回くらいリサーチをしていたのですが、その度に何度も往復してました。リサーチをしつつ、休みながらなので、片道でどれくらいの時間がかかったのか正確なところはわかりませんけど、行きは登りなので普通に1時間以上はかかっていたんじゃないかな(笑)。それに、のせでんに沿って自転車で移動しようとすると、笹部駅と光風台駅の間って、道路が途切れているんですよね。ちょうど兵庫県と大阪府の県境で、それによって道路が断絶されているんです。それだと不便だということで、地元の人たちが自力でその断絶された道路をつなぐ階段を作っていて、そこを通れば迂回せずに行けるという。いわばインディ系の道路ですね。岡(啓輔)さんがリサーチの過程で見つけてうちらの間でも話題になっていました。

―意外と肉体派なリサーチのスタイルですね。

なべたん:自分は自動車の免許持ってないので、選択肢がないだけ(笑)。これまでの経験で、アウトプットに対してどれくらいのリサーチが必要なのかなんとなく把握はしてるけど、クオリティを出すためにはストックは多い方がいい。今回がこれで十分だったかはわからないけど、たとえばときわ台の道という道はすべて一度は通ったはず。あと、沿線で人の少ない急な坂道とかを自転車で走ってたりすると、結構、地元の方からから声をかけられます。

―「あれ、こんなとこチャリで走ってる人がいるよ」と。

なべたん:珍しかったのかのかもしれませんね。それをきっかけに街の歴史などについていろいろと聞くことができました。1970年代にマイホームを手に入れたくて、大阪の方からいっせいに移り住んできたんだよ、とか。

―結果的に能勢というエリアにどんな印象を持ちましたか。

なべたん:今、自分が住んでいる山口県は中山間地域がとても多いところで、山深い場所も多い。能勢妙見山に登ったときは似たような印象を受けました。けれども、そのすぐそばにニュータウンが島のようにポコポコと存在しているのが強烈で、山間を縫うように走る道路を左に曲がると突然住宅地が広がるというのはあまりない体験だなと思いました。「ドラクエかよ」って。

―確かにロールプレイングゲームの世界を思わせる、いきなりな景色の変化があります。山を切り拓いて誕生したニュータウンのすごみかもしれませんね。

なべたん:カルチャー(=文化)という言葉と、カルティベイト(=耕す)の語源は同じですよね。育てる、発展させるという意味の言葉から派生していったと聞きました。両者の結び付きを考えたときに、たとえば岩や粘土が多く含まれる土地では、田畑の耕し方や収穫できる作物が違って、それが行動パターンや生活パターンの違い、ひいては土地ごとの文化につながっていくんだと思います。のせでん沿線の住宅地は自然との距離感が独特で、それはもう通勤通学のあり方から、コミュニティづくりの態度にも現れていると思います。他にもこういう地域はあるかもしれないですが、自分が暮らしてきた東京や山口にはあまり見られない地域だと思います。

―フロンティアスピリットみたいなものがあるのかも。

なべたん:ほんと、そうなんですよ。自治会の方と話をしていてもそれを感じます。さらにウェブサイトからもほとばしっている!

―まさかウェブにもフロンティア精神が。

なべたん:たとえば畦野駅から笹部駅あたりの一体に、大和団地という住宅地が広がっていますが、そこの自治会のウェブサイトや、東ときわ台自治会のウェブサイトを一度見てほしいです。自分が小学校高学年の頃にインターネットが出てきたのですが、それからしばらくはそこが本当にフロンティアに見えて、希望や可能性、コミュニケーションをする喜びにあふれていたように思います。その後知ることになるのですが、当時はジョン・ペリー・バーロウという人が「サイバースペース独立宣言」を発表したり、全世界的にもインターネットを国や政府とはまた別の独立した場所として捉えようとする動きがあった。ウェブで発信することは、既存のルールから逃れられる、ある種のフロンティアスピリットみたいなものにつながっていた。それを思い出させるようなウェブサイトで、とてもいいんです。

―今どきのインターネットではもはや見られない。

なべたん:もしかしたらSNSの登場以降、いちばん失われたものかもしれない。大和自治会のウェブサイトには「大和の『あゆみ』」という住宅地の沿革をまとめたページがあって、それが1960年代から始まるんですけど、その一発目の写真がただの土、地面の写真なんですよ

―あ、造成中の写真。

なべたん:そう。みんなで人の住める場所が生まれた瞬間の記憶を共有しているんですよね。神話を思い起こさせる。日本中を探せば、もちろん他にもそういう地域があるでしょうけど、少なくとも僕が目にしたのは初めてだったのでかなり衝撃を受けました。

渡邉朋也 a.k.a. なべたんインタビュー

「極力直そう」は時と場所を越える

―今回の作品は、なべたんさんが2014年に「DMM.make」というサイトで連載して話題になった「なべたんの極力直そう」を復活させる内容になるとか。

なべたん:さっき話したような、この土地から受けた衝撃に呼応するかたちで、DIY(Do It Youreself )、あるいはDIWO(Do It With Others)に連なることがやりたくなったので、「なべたんの極力直そう」をよりハードコアに、数多く展開できたら面白いかなと思いました。大和団地、北摂台、ときわ台という3つの地域を選んで、パラレルに同じようなものを選んで、直していくつもりです。

―「なべたんの極力直そう」は、まだ DMM.make や福岡県福智町の図書館 「ふくちのち」のウェブサイト で読むこともできますけど、どんなプロジェクトだったかあらためて説明いただけますか。

なべたん:2014年ごろは3Dプリンターやレーザーカッターなどの「パーソナルファブリケーション」というものづくりが話題になっていた時期です。誰もがそういうデジタル機材を使えるファブラボという工房が広まり、DMMさんも東京の秋葉原にそういう工房のようなスペースをつくり、同時に先ほど話題に挙がったDMM.makeというウェブマガジンを立ち上げました。そこで、そうしたパーソナルファブリケーションに関する連載をすることになり、身近にある欠損したものをこちらで見つけて、3Dプリンターで直すという連載をはじめました。それが「なべたんの極力直そう」です。

―まずは、道ばたのガードレールのボルトが外れてなくなっている場所を見つけて、勝手に直してましたね。

なべたん:自分が勝手につくったものが、元どおり機能するというのは背徳的な感じがあって、なんとも言えない高揚感があるんですよ。けど、それって勝手器物損壊で犯罪になると後から知りました(笑)。

―実はそうなんですね。

なべたん:その後、福智町に新しく図書館ができて、ファブラボ的な機能を持った場所が入るというので、その図書館完成前に発行されていたフリーペーパーとウェブマガジンで、同じコンセプトで3回ほど連載しました。温泉施設のベンチの脚の先っぽとか、学校の教室の引き出しとか、この企画を通していろんなものを直しましたね。あらためて身の回りの工業製品の仕組みや成り立ちを自分なりに理解できるので、そういう意味では図書館向けのコンテンツではありました。

―壊れた部分から失われたパーツを逆算的に推理してといういく面白みもありますよね。

なべたん:人間の心の働きで重要なものに「推論」というものがありますが、それには「演繹」「帰納」「アブダクション」という3つの種類があります。演繹や帰納については数学の時間に習ったりするので、比較的よく知られているのですが、「仮説形成」などとも呼ばれるアブダクションについては、ひとのクリエイティビティとも密接に結びついているにもかかわらず、あまりフォーカスが当たることがないので、これを機会に推論について考えたいというモチベーションはありました。あとは、いわゆる「3Dプリンターブーム」に対する懐疑的な気持ちもありました。

―あれ、そうなんですね。

なべたん:ボルトやナット、ワッシャーをモデリングの段階からつくっていくと、確かにモノの仕組みや成り立ちの理解につながるので、それ自体は良いことではあるのですが、だからといって、身近なものを3Dプリンターでどんどん修繕していくと、環境負荷がすごいことになってしまう。自然界に対して無害とは言い切れない素材を使っているわけだし、出力するにはそれなりの電気も使う。かつてパーソナルコンピューターやインターネットの普及が進むことで、ペーパーレスが進むという話がありましたが、むしろ逆で紙の使用量は増えたそうです。コンピューターによって、紙が置き換えられたのではなく、むしろコンピューターによって紙が使いやすくなったのだと思います。もちろん合理的な側面もあるので、一概に良し悪しは言えませんが、連載においては過剰に丁寧につくることで、逆説的にデメリットを示唆するような内容にしたいということは考えていました。

―わざわざ3Dプリンターで出力する方がいいものって結構限られているのかもしれませんね。

なべたん:「なべたんの極力直そう」では、最終的に直した物体の3Dのデータをインターネット上に公開するのですが、今回のせでん沿線で展開するにあたってここがポイントになると思っています。データとして残しておくことで、極端な話、仮に何百年か後に街がなくなったとしても、この街のボルトのデータだけは残ることになる。街の一部を切り出してインターネット上に移植する、タイムカプセルみたいなものです。あるいは見ず知らずの土地でデータが利用されることもあるかもしれない。数十年後、あるいは別の土地で、このボルトのデータに触れたときに何かしらの感慨が生まれるといいのですが。

―ボルトのようなあるパーツのデータに街のアーカイブを託す…ちょっとロマンティックな話にも思えてきました。

なべたん:実際に、これまでのデータは「Thingiverse」に3Dデータを共有するためのプラットフォームにアップしていますけど、海外の人がそのデータを見てコメントをつけたり、再利用してくれたこともありました。はるか遠い異国の街で、ボルトが外れてしまったガードレールというのは、人種や文化を超えて情緒を刺激するところがあるのかもしれません。

―修復のためのパーツの3Dデータを共有、保存すること。それも今回の作品の一部なんですね。

渡邉朋也 a.k.a. なべたんインタビュー

自然と人の攻防戦の果てで

―実際にのせでん沿線まで足を運ぶ人に向けてはどうでしょう。

なべたん:ネットにアップするのとは別に、修復の過程を記事にした壁新聞をつくって、町内の掲示板に貼り出してもらいます。自治会の広報誌を擬態したようなデザインにする予定なので、気づいてもらえないかもしれませんが、とにかく貼り出されているので見てみてほしいですね。ちなみに、壁新聞は住民の方々にこういうことをやっていると伝える役割もあります。単純に、街のみなさんはお年寄りの方も多く、ネットを見ない方もいらっしゃるみたいだったので。

―インターネットと同時に壁新聞でも発信、いいですね。

なべたん:作品としては、今回は3つのエリアで3か所ずつ直す予定をしています。たとえば、ときわ台駅の前にあるお店の看板の文字が1文字外れていて、それを直す予定です。それなりの精度や強度で直すつもりではいますが、その部分だけゼロから作り直すことや技術的な問題から、色や細部の仕上げまで違和感なく完全に直るということはないと思います。直されたものを実際に見ることで、街の成り立ちとかにまで思いを馳せてもらえたらと思っています。

―直した痕跡から街の成り立ちを知る。どういうことでしょう。

なべたん:このあたりは森や山のぎりぎりのところまで切り拓いてきた土地なので、端的に言うと自然のテンションが高い。自然の姿に戻ろうとする力が強いように見受けられます。自然と人の住む環境がせめぎ合う部分は、物理的な歪みが生まれやすいので、人間は常にメンテナンスを続けながら環境を整えますよね。そうしたバランスに綻びが生まれると、環境を構成する人工物の欠損としてそれが現れる。今回の直す対象物として、そうしたものを意図的に選んでいます。先ほどの看板も強風が吹いて破損したと聞きました。なので、そういう自然の強さだとか、自然が強い場所に人間が分け入っているという状況に触れるきっかけになればと思います。もっと言えば、今のままこの地域の高齢化が進んでいけば、環境の整備が追いつかず人間は自然に対して撤退戦を強いられる部分も無いではないと思う。そうしたバランスをどう取るのかという問題は、この周辺だけではなく、日本全体の問題になり得ると思います。

―そして、まだそこに暮らしている方もたくさんいる。

なべたん:きつい坂道をしんどそうな表情も見せずに淡々と歩いてる方もいる。それが日常なので当たり前なんですけど。自分がやっていることは、オブジェを設置すると言う意味では彫刻のような作業ですが、今回は街並み、そこでの人の営みも借りたインスタレーションだと思っています。

―家はまだしも、街はもうそこにすでにあるもの、という認識が当たり前ですから。

なべたん:しかも、都市部と比べると街のタイムスケールが短いというのかな。50年前という比較的最近に生まれた街なのに、もう高齢化とか次の課題に直面している。街で会ったある方は「この街はもう終わりだ」と言うようなことをおっしゃっていた。まだこれからどうなっていくのかは全然わからないとは思うのですが、成長のスピードは早いように感じます。ちなみに、直したものはすべてではないですけど、会期後もそのまま残しておくつもりです。何年か経った後に、「あれ、なんだこれ」って直した痕跡に気づく人がいるかもしれない。それも楽しみです。

渡邉朋也 a.k.a. なべたんインタビュー

落合博満で意気投合

―最後に、「のせでんアートライン」のアートプロデューサーを務める前田文化・前田裕紀さんのことも聞かせてください。

なべたん:今回のお話をもらうまでは前田文化には行ったことはなかったのですが、「大阪にヤバい奴がいる」という噂は山口まで届いてました(笑)。今回、前田文化さんがプロデューサーだっていうところにも興味を持ちました。しかも唐突ですけど、自分がプロ野球の落合博満のファンでして。

―3度の三冠王に輝いたオレ流の男、落合ですか。唐突ですね(笑)。

なべたん:自分が落合博満を軸に作品を読み解いたり、文章を書いたりもしていて、今年の1月1日には和歌山の太地町にある落合博満野球記念館へ行って、ご本人にも会ってきました。ちなみにこれ、サインです。

―(なべたん氏のmacbookの外装にマジックで落合のサイン)おおっ、すごいところに! 初詣ならぬ落合詣ですね。 

なべたん:そうなんです。ご本人の別荘も兼ねていて、年末年始はだいたい記念館にいらっしゃる。朝に行ったんですが、いわゆる信者たちがすでに集まっていて、すごく良いバイブスで満ちあふれていました。本人と握手までさせてもらって、その後も気さくに話しかけてくれたりもして、テンションがぶち上がりました。

―優しいんですね。

なべたん:また来年行こうかなと思っています。

―という落合さんと前田文化に何の関係が(笑)?

なべたん:落合博満が中日の監督をしていた頃に、前田さんは「落合監督ドットコム」というウェブサイトを運営してたらしいんです。それを聞いて、ますます前田さんにも関心を持って、とにかく会いたいなと。

―前田さんとの初対面、盛り上がりましたか。

なべたん:冒頭、1時間半くらいは落合の話に終始しました。あまりこの業界で落合の話ができる人がいないので、興奮してしまって何を話していたか、あまり覚えてない(笑)。その次に記憶があるのは、前田さんから資料を見せてもらって、「避難訓練」をテーマに芸術祭をやるんだって説明を聞いた場面。これまた、すごいテーマだなと思いました。

―率直にどんな印象を持たれましたか。

なべたん:小さな子どもからお年寄りまで誰もが知ってるフレーズでありながら、今の日本社会とか、アートが置かれている状況までえぐり出された感じがあって、とても納得感があるテーマだと思いました。ちょっと嫉妬したくらい(笑)。

―アートの現場に使われる言葉としては誰も想定してませんでした。

なべたん:いろんな射程がある言葉なので、前田さんが考えてられる像と自分の思い描く像が違うところもあると思いますけど、掴みとアクチュアルさを兼ね備えた、今っぽい言葉。とても取り組み甲斐があるなと思っています。

―ありがとうございます。なべたん&前田文化による落合博満的のせでんアートラインの読み解きもいつか聞かせてください。

インタビュー日・2019/10/04
インタビュアー、文・竹内厚
写真・仲川あい

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