COLUMN
レポート2019/11/22
渡部睦子作品「星見るひとたちと出会う旅」特別鑑賞プログラム
文・毛利風香(前田文化)
滝行は、はじめてだった。こんな寒い時期に水にうたれるのか…とビビっていたけれど、たのしみでもあった。滝の水にうたれてみると、無になることはできなくとも、ごちゃごちゃと考えていることや、不安におもうことが減っていく感触があった。
「『頭冷やせ』とか『嫌なことは水に流そう』って言葉は、意外と真理なのかもしれないな」と、着替えながら考えていた。自然界と私たちがもつ言葉や感覚って、こんな調子で手を組んでいるのだろうか?
「寒い山の中で朝から滝にうたれる」という普段あまりない経験を前にしたとき、初対面の人の間でも『チーム感』が生まれているのを感じた。登山に挑むにあたって必要な団結がなんとなくうまれた時間でもあった。気がする。
次は、滝行をしたのになぜか温かくなった体で登山へ。登りはじめて一時間たったころ、体力はまだまだあるけど、上手な山の登り方がわからず、今日一日過ごすための精神さえ保てるか怪しくなった。そして「あと3時間も登山か〜」「太ももが痛い」と悩みも湧きあがり、滝行で消えかけた雑念がぜんぶ復活した。それでも、しばらくすると「次は足を、あそこに置く」と頭で考えるのではなく、身体が勝手に判断するようになった。これをすごく面白く感じて、足取りが軽くなった。
そうして身体がだんだんと慣れてくると、山に落ちているものに目がつくようになり、普段見ることのないプルタブ、落し物、骨や皿をたくさん拾った。それらをどうしても持って帰りたくて、ビニール袋に詰めていた。そんな私を見た他の人たちは、落ちているものを一緒に拾ってくれるようになった。
「なるほど、歩けば歩くほど、一緒に登っている人たちの距離もかわってゆくんだなあ」と、ゆっくりと重みを増していくビニール袋をみていた。
そうしてなにかを拾ったり、ある景色が目に映るたびに、かつてこの道を歩いていた人や動物のことを思い浮かべていた。「どこ目指して歩いていたのかなあ」「寄り道とかして、歩いていたのかなあ」「私たちみたいに、地面に落ちているものの話をしていたのかなあ」と。ただ目的地を目指して歩くのと、この道にかつての時間を飛びまわるように想像して歩くのとでは、ひとあし踏みこむたびの感触が、まったくちがうものなのだ。
人や動物の痕跡を吸収しながら、パフォーマンスが行われるところを目指した。もうすぐ着くぞ〜!というとき。動物か人間かわからない歌声が聴こえてきた。その方向を目指して歩みをすすめた瞬間を、私はとても気に入っている。(後で、この歌声はパフォーマンスの一部だとわかった)
この瞬間は、かつて山の道を歩いていたであろう人や動物へと思いめぐらせてきたからこそ手にしたのだとおもう。
歌声だけではなく、川が流れていって遠くなる音や、星が次々と流れていく音、風が吹き抜けていく音など、自然のなかに漂っている、人が話す言葉ではなんとも表現できない音をたくさん聴いた。
「この音をきいていた人たちは、いったいどういう人たちなのだろう?」と、自分で想像するとも考えるともつかない、次々と自分の頭に飛びこんでくる映像が再生されるのを、じっとみていた。パフォーマンスというより、“語る”“継承する”というような言葉の方がしっくりくるほど、知らない世界をみて、きいている時間だった。
木の合間をぬって差す西日がまぶしくて綺麗だったのも、忘れてはいけない。
そんな風に心地のよい時間の傍らには、なんか嫌な緊張感が横たわってもいた。
奏でられていく音をきいていると、さっき山道に捨てられていたゴミや、近所にある川辺に散らかったゴミを思いだした。
なぜそんなことを思い返したのだろう?と考えたら、
そういえば、自分たちの住み良い暮らしのために、人や動物の生活に侵入してきたことは、きっとたくさんあるんじゃないか。無意識に誰かの生活に土足で踏みこんでいることって、案外あるんじゃないのか。と気がついた。
今回のパフォーマンスには、風や光に包まれるようなやさしさもあった。それと同時に、どんどん便利になっていくわたしたちの生活に対して、かつて生きていた人々や野性動物の生活が訴えてくるような、やわらかな逆襲が起こっていたのではないだろうか。
私は、グラスから鳴る低く、鈍く裂くような音がなるたび、少し緊張してしまった。
この日、パフォーマンスは2回あった。夜は天気があまり良くなくて、星はみえなかった。けれど、星がみえなくて残念!とは思わなかった。
なぜなら地面は冷たかったし、風もすこし吹いていたので、ちゃんと自分が居るなあと感じながら、時間をすごせたから。そして何より星はみえていないだけで存在はしているし、ずっと昔に死んだ星を眺めていたり、「曇りか〜今日は星がみえないな」って思っていたのはきっと今も昔も変わらない気がするから。
服が汚れるのも気にせずに、寒さもどうでもよくなるくらい星がいるであろう空をみあげて、かつての人々やどこかの民族の生活をなんとか想像してやろうという気持ちだった。抱えている問題や、食べている物が違っても、自然を目の前にしたときの会話というのは、今も、かつても同じようなものだったのかもしれない。
(写真(1,5,6枚目):仲川あい)