COLUMN
インタビュー2019/10/25
【地域プロジェクト】能勢妙見山インタビュー
自然と文化の多様性が息づく能勢妙見山で芸能上達を願う「能勢妙見山芸能上達プロジェクト」
能勢町の南東部に位置する妙見山。標高約660mの山頂に、日蓮宗の霊場「能勢妙見山」があります。行基が開いたと伝えられるこの地は、古くから北極星信仰が盛んで、開運招福や芸能上達のご利益があるとして全国から多くの参拝者を迎え入れてきました。
近年では、妙見山に伝えられる信仰と歴史、それらを育んできた豊かな自然を次世代に繋ぐため、さまざまな試みが行われています。のせでんアートライン期間中は、アーティストが芸能を奉納する「能勢妙見山芸能上達プロジェクト」の実施も決定。能勢妙見山のこれまでとこれからについて、副住職の植田観肇(かんじょう)さん、広報室室長を務める吉井麻里子さんのお2人にお話を伺いました。
1200年の歴史を紡ぐ妙見信仰
――はじめに、お2人はそれぞれどんなきっかけで能勢妙見山に入られたのでしょうか。
植田:私は能勢妙見山の本院である眞如寺の生まれなのですが、仏教系ではない大学を卒業し、大手メーカーでテレビのデジタル放送に関わる事業に携わっていました。お寺の生まれでありながら、宗教に対する猜疑心がずっと拭えなかったんです。ですが、会社でさまざまな人と接しているうちに、世の中には宗教を必要とする方がたくさんいるのだということがわかってきまして。会社の上司や同僚など、大切な家族を亡くされた方が「仏教があったから立ち直れた」と話してくださった時に、宗教が心を救ってくれると感じたんですね。仏教に対するもやもやした気持ちがなくなったことと、お寺でも人を必要としていたことなどが重なって、10年ほど前に能勢妙見山に入りました。
吉井:私はこの地域が地元なのですが、お寺のことは当初あまり知らなくて。学生時代に体育会一同でこちらをお参りする伝統があって、その時が最初でした。社会人になってからのせでんアートラインにボランティアとして関わり、その後、福娘として行事に参加させていただいた際に、(植田)観肇上人から「お寺で働いてくれる人を探している」と言われたのがご縁でしたね。
――お2人とも、地域にゆかりがあるのですね。そもそも、能勢妙見山がどのようなところか教えていただけますか。
植田:歴史的なお話をしますと、750年頃に行基菩薩がこちらを開いたのがはじまりとされています。その後、源氏の祖である源満仲が北極星を神格化した妙見菩薩をお祀りし、さらにその子孫である能勢氏によって代々妙見信仰が受け継がれてきました。北極星は常に北を指して旅人を導くことから、人生の目標に導いてくださる神様であると言われています。古くから花柳界や芸能界からの信仰も厚く、江戸時代には「能勢の妙見さん」の名前で親しまれていたようです。地域全体に目を向けると、古くは薬草園として栄え、平安時代には都に農産物や山の幸を献上していたようです。都と共に生き、文化を作ってきた土地だと言えるでしょう。
吉井:最近の能勢妙見山はハイカーの方が多いですね。能勢電鉄やケーブルは、もともとこの能勢妙見山にお参りするために作られた鉄道だと聞いています。大阪府の天然記念物に指定されている山頂のブナの原生林や、麓に広がる栗などをはじめする果樹、そして日本一の里山と言われるクヌギ林など、妙見山や周辺一帯は豊かな自然が残る地域でもあります。
表現の最先端を走るアーティストの芸能上達を願って
――今回の地域プロジェクト「能勢妙見山芸能上達プロジェクト」とは、どんなものなのですか。
植田:事前申し込みいただいたアーティストの方々に芸能上達のご祈祷をし、山頂にある信徒会館「星嶺」にてパフォーマンスを奉納していただきます。実は今回のプロジェクトに応募する以前から、ご祈祷を受けた方に星嶺を使用していただくという試みは行っていたのですが、アートライン期間中はお力を借りて大々的にPRさせていただくことになりました。
吉井:妙見山は芸能のお寺として親しまれてきた歴史がありますが、徐々にそのことが忘れられているように思います。昔に比べると芸能や芸術の範囲は広まり、部活動などでも芸能に関わる機会は増えているはずなのに、もったいない状況だと感じていました。私は子供のころから趣味や部活で絵を描いたり楽器を演奏していますが、どんなジャンルであれ、上手くなりたいと思ってもどこに向かうべきかわからなくなることがあるんです。そんな時に、北極星の神様が芸能上達の道を示してくれるというのはすごくいいなと。
植田:私自身はアートに疎くて、正直最初はあまりピンと来ていませんでした。のせでんアートラインのお話をいただいた当初は、地域のランドマークとして皆さんのお役に立てればという気持ちでしたね。でも実際に現代アートに関わる方々とお話をしてみると、彼らは人類が今までさまざまな表現をしてきたそのさらに先を行く、いわば開拓者なのだとわかってきたんです。地図も道もない場所を開拓して新たな表現を追求する方々を、妙見山のご利益で後押ししたいと思っています。
――芸能関係のご利益が忘れられつつあるとのお話でしたが、SNSでは芸能関係のお参りがあったと発信されていましたね。
吉井:最近では、俳優の赤星マサノリさんや、『トイレの神様』で知られるKa-na(植村花菜)さんも来ていただきました。
植田:宝塚歌劇団の関係者や、プロ野球選手、プロサッカーの関係者もお参りに来られますが自分からは名乗り出られないことも多く、そのような場合はあえて詳しいこともお聞きしてきませんでした。アートライン関係の方や、芸能関係の方だと名乗りでていただいた方は許可を得てSNSで発信させていただいています。多くの芸能関係者に興味を持っていただけるのはありがたいですね。
多様性を認める「エシカルな社会」を目指して
――今回のプロジェクト以外にも取り組んでおられることはありますか。
植田:山の日の制定に合わせて「山の日フェスタ」を開催していまして、今年第4回目を終えたところです。当初はハイカーの皆さんとのコミュニケーションが取れたらと考えていましたが、イベントを通じて食や環境の問題に関心が向くようになり、今年は「エシカルなくらし」というテーマで開催しました。能勢には有機農法に取り組む農家さんや素材にこだわる料理店が多いですし、なんと言っても生物多様性において日本一と言われる森が広がっています。食をはじめとする文化の多様性を守り、発信していくにはこの上ない土地なんです。
――僧侶の方から「エシカル」という言葉が出てくるとは思いませんでした!
植田:唐突に「エシカル」という言葉がでてきて驚かれるかと思いますが(笑)。仏教の世界でも多様性を認めるというのは大切な概念です。
――さまざまな活動を通じて、これから目指したいことは何でしょうか。
植田:山の日フェスタやのせでんアートラインを通じて、自然や文化の多様性を感じていただく取り組みができればと考えています。グローバリズムによって世界が均質化していく中で、文化の多様性を認められるような「エシカルな社会」のあり方を、ここから発信していきたいですね。
吉井:五感をフルに使うことは、芸術を生み出すのにとても重要なことだと思っています。能勢妙見山の豊かな自然やこの地に息づく歴史を感じていただくことが、新たな表現が生まれるきっかけになれば幸いです。
右奥:植田 観肇(うえだ・かんじょう)
[日蓮宗霊場 能勢妙見山 真如寺 副住職/能勢妙見山ブナ守の会 事務局長]
世界三大荒行堂の一つといわれる日蓮宗大荒行堂にて寒一百日間の結界修行を4度成満。また、北摂で唯一、妙見山にのみ一万年前から残るブナ林を守る「能勢妙見山ブナ守の会」創設メンバーのひとり。日蓮宗の国際体験プログラムでボストンの寺院で修行したのを機に、テキサスでの北米研修の講師を務めるなど米国寺院のサポートも行う。
最近のマイブームは、包丁研ぎと焚き火とオムレツ作り。
左前:吉井 麻里子(よしい・まりこ)
[日蓮宗霊場 能勢妙見山 広報室室長/能勢妙見山ブナ守の会 事務局/広報]
川西市出身。幼少の頃から妙見山は身近な遊び場で、サイクリングやハイキングで親しむ。音楽やアートや自然が好きで、2015年アートラインをきっかけに入職した。広報室として、イベントの企画をしたり、日々の様子や美しい景色をSNS等で紹介。Instagram上で、個人の趣味全開の「#境内わんちゃん」「#能勢妙見山ニット帽チャレンジ」といったハッシュタグも発信中。
●日蓮宗霊場 能勢妙見山 https://www.myoken.org/
●能勢妙見山芸能上達プロジェクト http://noseden-artline.com/2019/local/myoken/
インタビュー日・2019/09/28
インタビュアー/文・油井康子