のせでんアートライン2019 避難訓練

COLUMN

#11

インタビュー2019/10/25

渡部睦子インタビュー
能勢妙見山から遠く離れた別の土地まで

渡部睦子インタビュー

山と海のつながり

―今回の作品プランはどのように生まれましたか。

渡部:大学時代から7年くらい京都に住んでいたけれど、能勢には行ったことがなかったんです。だから、展示場所として「のせでん沿線の1市3町から好きに場所を選んでください」と言われても選べなくて、そこで、まず能勢妙見山とそれにまつわることをいろいろと調べることにして。すると、私がやってきたことにも意外とつながっているところが見えてきました。

―渡部さんは現在、オランダ在住。オランダの漁師に魚網の編み方を習うことから始めて、制作を展開していくような作品もつくっています。

渡部:オランダに来てから制作に対するベクトルを意図的に変えました。スタジオにこもって作業するよりは、外に出ていろんな人に会って何かをするためにアート作品を使うようになりました。漁師さんから網の編み方を習ったのも魚をとるためではなく、衣食住のお話を聞く道具として。その後、インドネシアや中国などに行って、漁師さんからその土地の話を聞く機会をつくったときにも、私が網を編めると言えば、ただの変な日本人扱いから、ちょっと仲間みたいな雰囲気になりました。「おまえも編めるのか」って。

―編み方を習うところから、継続して作品を展開させているんですね。

渡部:そうですね。いつも編みを編むプロジェクトではないのですが、いろんな偶然が重なって展開したりします。昨年は、アムステルダムの中心部にあるハウス・マルセイユ写真美術館で新作をつくってほしいと依頼されました。そのケイゼル運河沿いの邸宅は、1665年に海上貿易で活躍した商人(たぶんフランスからの移民であろうという)イサック・フォキアにより建てられ「マルセイユ」と名付けられました。以来、さまざまな人が代々住み継いできて、そのことを全部調べた歴史小説家のカロリン・ハンケンさんの著書も2019年に開館20周年記念し出版されました。彼女とミーティングを重ね思考する中で、私はその邸宅に3番目に住んだ人にフォーカスを当て映像インスタレーションを制作しました。この邸宅に3番目に住んだ人は、オランダ東インド会社のディレクターでアムステルダムの市長でもあった人の長男だったんです。

―約350年前の建物が残っているだけでなく、その住民の歴史が明らかになっているのもすごいですね。オランダ東インド会社はアジア各地で貿易をしてましたね。

渡部:そう、日本まで来ています。当時の航海の様子を描いた絵もたくさん残っていて、その絵に描かれた島や山の形をみて、「imaginataly mountains」と題しての小さな磁器の山をつくりました。カントン、バタビア、トンキン、長崎などの山々。そういった制作をやっていたところだったので、能勢妙見山も海沿いにある山ではないのだけど、海とまったくつながってない場所だとは思えなくて。

―山の形が航海をする上での目印になっていた時代もありました。

渡部:そもそも日本に仏教が入ってきたのも船で渡ってきていますし、その頃の大阪がどんな状況だったのかとか、いろんな角度から調べて自分の中で妄想を膨らませてみました。たとえば、能勢妙見山は日蓮宗の霊場ですけど、日蓮の父が漁師でもあったという話があったり、日蓮が島流しの途中で岩礁に置いてけぼりにされて、お経を唱えていたら漁師に助けられたとか、漁師につながる伝説も残っています。また、能勢界隈で生産されていた菊炭は、千利休の茶の湯でも重宝されて、堺の商人たちに広まっていたことも知りました。

―能勢のリサーチと同時に、日蓮宗や仏教のことなども調べて。

渡部:それがすべて作品になるとかじゃなくて、ただ知らなさすぎたので、まずいろいろ把握するべきだと思って調べてました。大阪の漁協の方に話を聞きにいったりもして、「大阪の漁師はだいたい住吉神社を信仰しているけど、泉佐野あたりの漁師さんは、妙見信仰がありますよ」と教わったり。

―妙見信仰では北極星を神格化しています。船乗りにとっても、北極星は大事なコンパスですね。

渡部:かつて船で移動していた人だけでなく、砂漠にいたベドウィンにとっても北極星を指す言葉は、大事な言葉になっていたようです。今のようにGPSがある時代なんてほんの最近のことで、それまでは、北極星のような動かないものや海から見える山がナビゲーションの役割を果たしていた。当たり前のことだから、それを私がわざわざ言うこともないんだけど、いろいろと調べていくと、自分の意識がそういった部分にどんどん近寄っていったんですね。

渡部睦子インタビュー

滝行で清めた後に

―渡部さんの話を聞いていると、能勢妙見山がだんだん海に近づいてきた気がします。制作に向けてどんなことをされましたか。

渡部:ひとつは、子どもたちとのワークショップを依頼されていたので、のせでん沿線の学校を訪ねて、約130人の子どもたち、有志の方々に会いに行きました。私がいろんな国で出会った漁師さんとのをイメージを見せながら話した後で、私がオランダの漁師さんに習った網を一緒に編んでみるということをやりました。日本では「かえるまた編み」と呼ばれている編み方です。それから、子どもたちに身の回りのことを絵にしてもらって、この街や能勢妙見山の話をいろいろと聞きました。

―子どもたちとつくったものはどのように使われますか。

渡部:能勢妙見山を登っていくルートに、子どもたちがつくったネットを道しるべのようにつけていきます。そのルートというのが、能勢妙見山は、1700何年だったかな…1767年3月16日だ、それまでは女人禁制だったという山で、江戸時代中期には各地に講ができて、全国から参拝者が訪れていたようです。ふもとの真如寺で滝行をして、全身を清めてから山を登って、奥の院をたどって山頂へ行くという参拝ルートが流行ったみたいなんですね。いまでは、ハイキングやバーベキューなど、レジャーの山という印象があるかもしれませんが、歴史のことなどを知っていくと、やっぱり能勢妙見山は霊山だから、作品を展示をさせていただくのならば私もちゃんと清めて向き合わなきゃいけないのではと思いました。

―知れば知るほどに、ですね。

渡部:それで、私も真如寺で滝行をさせていただくことにしたんです。でも、5人を集めないといけないということでどうしようと思っていたら、関係者のみんなも「ぜひやりたい!」という話になって、のせでんアートラインの11人で滝行をやってきました。

―やっぱりいいものですか。

渡部:身を清めてから、妙見菩薩の御像がある本堂でお経を読んでもらって、瞑想をして自分自身を空っぽにした後、ありがたいお言葉をいただいたのですが、自分の汚れたものを全部落とすような感じもあり、とてもすっきりして気持ちいいものでした。こうした体験を通して、昔の人たちにとっての能勢妙見山が見えた気もして、興味がある方々と一緒に体感できないかなと思ったんです。

―「星見るひとたちと出会う旅」特別鑑賞プログラムとして、11月2日に開催予定です。

渡部:真如寺での滝行の後、能勢妙見山に登り、奥の院を通って山頂まで行くコースだと、だいたい3時間半ほどの登山。山頂付近には、昔から伐採されずに存在するブナ林が聖なる場所として残されていて、11月2日は、パフォーマーのMAMIUMUさんにそこで16時頃からパフォーマンスをしていただきます。参加者のひとたちが登ってきて、ちょうど到着する頃に、能勢妙見山の御神水を使ったグラスハープの演奏が聴こえてくるように。

―プログラム参加者でなくても、山頂から降りてきて、そのパフォーマンスだけを見ることもできますか。

渡部:16時のパフォーマンスは一般の方も見ることができます。夜は参加者限定で、山頂の隣りに通称「稲荷山」という開けた場所があって、そこでMAMIUMUさんに演奏をしてもらいながら星を見ます。稲荷山にはそのためのインスタレーションをつくります。

―どんなインスタレーションになるでしょう。

渡部:妙見山の廃材などを使って、土地から船が生えてきたような構造物をつくって、船の帆のようにしてテキスタイルを張ります。そこには私が能勢妙見山について調べてきたことや、子どもたちから聞いた話などを反映して、他にはハンモックを吊ったり、上にも登れるようなものとしてつくります。ブナ林の方にも、もとからその場所にあるものを中心にしてインスタレーションをつくる予定です。

渡部睦子インタビュー

アートを使って知っていくこと

―霊山としての能勢妙見山に寄り添った作品になるでしょうか。

渡部:もともと山にあった信仰や、この土地の地相にもフォーカスしています。山やその信仰にしても、海を通じて伝わってきたものでもある。私が調べていくなかで見えてきた、この土地に積み重なっているものや遠く離れた別の土地で星を見ていた人たちについて取り込んだ、そのすべてが作品ですね。

―イベントのない日でも、ブナ林や稲荷山のインスタレーション、登山道の道しるべとなる網があるので、好きな日に能勢妙見山を登ってみるのもいいですね。

渡部:そうですね。まったくバリアフリーではないので、そこは申し訳なく思ってますけど。最終日にもクロージングイベントを用意していて、この日は、稲荷山のインスタレーションを使って、川辺ゆかさんが歌ってくれます。彼女はいろんな国の土地に残る歌をいろんな言語で歌える人で、今回は知り合いの山伏の方にお話を聞いてもらって、教わった山伏の歌というのも歌ってくださるようです。

―能勢妙見山は修験道の山でもあるんですよね。

渡部:はい、それも能勢妙見山の歴史の一部のようです。能勢妙見山は日蓮宗の霊山で、今回の制作にあたっては、能勢妙見山・副住職の植田観肇(かんじょう)さんにとても守られていたという気持ちがあります。

―どういうことでしょう。

渡部:パブリックアートのプロジェクトとして公共の場所で制作することを国内外でやってきましたけど、日本はルールが多くて、難しい印象がありました。しかも今回は、霊山という場所ですし、「こんなことやっていいのかな、どうだろう」ということをひとつずつリストにして、観肇さんに確認していただきました。意外とここまでやっても大丈夫なんだというところで、すごく融通をきかせてくださったし、観肇さん自身が信仰や滝行のことでも、知らない人をはねつけるのではなく、丁寧に教えてくださる方だったので、私にとってもいろんなことを知るきっかけになりました。

―そのことを鑑賞者ともシェアするような作品ということですね。

渡部:そうですね。のせでんアートラインのテーマが「避難訓練」だと聞いて、最初は戸惑いましたけど、知らないことを知っていくことで事前準備ができるのだと捉え直してみると、「あ、こういう考え方もあるんだな」とか、「なぜ人はこうしてきたんだろう」と考えてみることで、落ち着いて対応できることもある。自分とはまったく違う世界だと思うかもしれないけど、角度を変えてみることで意外と自分にも役立つものになるんじゃないかなとか。そのためにアートを使っていけたらと思います。

―「地元の人に何かを教えてもらう」ことを通じて制作する、まさに渡部さんのやり方ですね。

渡部:きついことを言われたりすると、ちょっとしたことでくよくよしたりしますよね。私もそうなんですけど、心配しすぎたりするようなことが、小さな行動を起こすことで勇気に変わったりとか、何かの気づきにつながればいいなって思ってます。

渡部睦子インタビュー

インタビュー日・2019/10/09
インタビュアー、文・竹内厚
写真・仲川あい

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