COLUMN
インタビュー2019/10/08
アートプロデューサー 前田文化・前田裕紀インタビュー
「避難訓練」とは何か
「のせでんアートライン2017」では、ファシリテーターとして参加していた前田文化の前田裕紀さんが、今回はアートプロデューサーに就任。芸術祭としてはあまり類を見ないようなコンセプト、「避難訓練」を掲げて開催準備を進めています。
一体、その言葉はどこから出てきたのでしょう。前田裕紀さんが語ります。
ものすごく遠回りして能勢妙見山へ
―アートプロデューサーに就任して、まずはどんなところから考えましたか。
前田:いちばん最初に考えたのは、芸術祭をつくるための素養や経験というのは、僕にはほぼゼロ、あって3くらいだと思ってたので。
―100分の3ですか。
前田:そうです。なので、詳しい人や経験のある人を仲間にすることを考えました。具体的には、アートコーディネーターの内山(幸子)さんにお願いして、どういうことをやりたいのか話しながら進めてきました。
―地域での芸術祭が数多くあるなかで、「のせでんアートライン」として何が見せられるか。
前田:それがなんだろうって、ずっと考えながらやってきました。そもそも「のせでんアートライン」というのは、能勢電鉄が開業100周年を迎えた2013年から始まっていて、能勢電鉄の社長が地域の人たちに恩返しをしたいという気持ちからスタートしているんです。当然、開催する場所はのせでんの沿線。そこで何を見てもらうか。地域の人にとっても、遠くから見に来る人にとっても、「誰がこんなとこ見つけたんや」というような場所、これまで気づかれてなかったようなポイントに気づいてもらうことが、「のせでんアートライン」のひとつの見どころになると考えています。
―能勢電鉄といえば、能勢妙見山に向かう路線というイメージです。ところが今回は、必ずしも能勢妙見山だけに作品があるわけではないですね。
前田:そう、僕も最初は能勢妙見山しかないと思ってましたけど、アーティストとリサーチを重ねるうちに、どんどん周辺の街を巡るようになってきて、発見がたくさんあったし、そこで見つかる面白さもリアルに感じました。地域の見方ってこういうところにあるんだというのがわかってきた。なので、能勢妙見山だけでなく、そこにいたるまですごく遠回りをして、すべてを見ようと思ったら1日では回りきれないくらいの設定になりました。すべて体験してもらえたら、ただ「芸術祭を見てきました」というのとは違う、特殊な経験ができるはずです。
「避難訓練」という言葉の意味
―今回のテーマとして「避難訓練」という言葉を選ばれた、そのココロが知りたいです。
前田:最初に思いついたのは、「逃げる」「身をかわす」といった言葉でした。これからの時代、立ち向かっていくのではなく、逃げていくことこそが必要だと思っているので。
―逃げていく、ですか。どうしてそんな思いに?
前田:先に個人的なことから話せば、それ、自分がめちゃ下手くそなんですよ。いろいろバイトをしてきたけど、「ちょっとしんどいので辞めます」ってうまく辞められたことがなくて。
―クビになるってこと?
前田:いや、連絡をとらずに勝手に消えていくやつです。
―それはまずいですね。
前田:そう。自分が嫌だなと思ってることに対して、もっとうまく対処できる人はいると思います。でも、自分はそれが下手で、35歳になってそのツケがすごく溜まってきている。だから、そこを考え直さないといけないというのがひとつありました。
―ごく私的な経験として、まずその思いがあったと。
前田:僕が前田文化という文化住宅でアートプロジェクトを続けてきたことで思うところもあって。
―前田文化は、大阪・茨木で前田さんが継続されている文化住宅を使ったさまざまな活動ですね。
前田:この先、文化住宅をどうするかと考えたら、まっさきにありえる選択は、建て替えること。残すにしても耐震面などから、ガチガチに補強していくのも考えられる。けど、それだけしか選択肢はないのかなって。地域のなかで文化住宅が存在する意味というのを考えたいときに、そこにある問題に対して身をかわしながら、安易な選択肢をとらずに別の行き先を見出していく、そんなイメージで前田文化を続けてきました。それって、つまり「避難訓練」的な考え方なのかなって。
―決断を先延ばしにすることはネガティブかもしれないけど、そうやって道を探るやり方を否定してはいけない。
前田:そう、それも「避難訓練」に含まれることのひとつだと思います。
―ちなみに、前田さんの「避難訓練」原風景って何ですか。
前田:小学校の避難訓練です。授業がなくなって、廊下に並ばされたときに隣りのクラスの子と話ができて、それから、「走らずにあせれ」みたいなことを言われて、運動場に集合しましたよね。
―そうでした。全員が校庭に避難するまでの時間を計ってたりして。
前田:学校生活という日常のなかでは、ちょっと変わった特殊なイベントで、あの感じはなにか悪くないなという思いがあって。避難訓練というのは、何も起こってない状態でやるものなので、頭の中である状況をシュミレーションしながら身体を動かしている。それも面白いところだなと思います。
―目の前の現実とはまた別のレイヤーを重ねていると思えば、確かに。避難訓練のこと、そこまで考えたこともなかったです。
前田:僕もです(笑)。あと、芸術散歩という言葉がありますけど、避難訓練は散歩とは真逆かもしれない。そこもいいなって。
―まち歩き型の芸術祭ではつまらないという問題提議ですか。
前田:いえいえ、まち歩きは基本的なものとしてあるべきだし、きわめて大事だと思ってます。ただ、気楽に歩くだけでも仕方ないかなともちょっと思っていて。
―というと?
前田:地域の芸術祭にわざわざ来ていただいて、何も持って帰ってもらうことができるか。そう考えたときに、ただの散歩ではないのかなという気がしています。
―避難訓練という言葉のイメージがだんだん膨らんできました。
前田:今の時代、東京オリンピックや大阪万博のような中央での出来事に対して、みんながそこへ向かっていく必要もないと考えています。よそにそれていくような動きがあってもいい。今回、参加いただいたアーティストも、別の選択肢を作品として提案してくれるような人たちを選ぶことができたと思います。
「備えあれば憂いなしパーク」始動
―会期前のプレイベントとして、「備えあれば憂いなしパーク」 a.k.a.避難ムーブ・ファイターというプレイベントを開催します。これも前田さんの仕掛けですね。
前田:それは、僕がプロデューサーとしてできることといえば、「避難訓練」というコンセプトをつくって、浸透させることくらいなんです。だけど、今、話してきたような時間をみなさんと持てるわけでもないし、そもそも、僕自身はあまり言葉を持ってないので、結局、身体を使って示すしかない。前田文化としてこれまでやってきた方法論で具体的な物をつくって、それを共有するというやり方しかないなと。
―つまり、「備えあれば憂いなしパーク」は広告塔であり、コンセプトを直感的に伝えるもの。
前田:そうなります。ただ、アーティストがつくる作品に対して、あまりにも具体的で、身も蓋もない陳腐なものではあるので、ちょっと批判されるかもしれない。だから、会期が始まるまでの期間だけ、いろんな場所に設置して、「のせでんアートライン」のことを伝えていけたらと思ってます。
―具体的にはどんなパークなんでしょう。
前田:参加者には、今、危機だと考えていることを聞き出します。その後、パークに入ってもらうと、三方から球が飛んでくるので、全力でかわしてもらいます。球をかわしたその瞬間を3台あるカメラで記録。先に聞き出した危機となる言葉をその記録写真に載せて出力、それを持って帰ってもらうことができる、というものです。
―自分の身体を使って危機をかわす、をまさに具現化した装置。「風雲!たけし城」といった昔のテレビ番組を思い出させるような、参加型アトラクションですね。
前田:ほんとにそうです。ベタなもので(笑)。日常的な危機は、些細なことかもしれませんけど、誰にでもあるはずで、だけどそれを気軽に口にしたりとか、話せる状態というのを大事にしていかなきゃいけないと思うんです。
―危機をオープンにさらして、実際にそのものから身をかわしてみる。たとえてみれば、神社にお参りするような時間にも似てますか。
前田:確かに、儀式的なものではありますね。あと、合気道の創始者、植芝盛平のことも念頭にありました。
―いくつも武勇伝のある方ですね。
前田:そうです。合気道を極めた植芝盛平は、鉄砲で撃たれてもその銃弾を避けることができたという逸話を聞きまして。
―「備えあれば憂いなしパーク」で、みんな植芝盛平になれ! と。
前田:そうなんです(笑)。
―そうなんですと言われても困りますけど(笑)。
前田:実は、事前のリサーチをするなかで、京都精華大学准教授の山田創平さんに話を聞いたときに、「避難訓練」というのは、近代的な軍隊を想起させる言葉だからあまりいいものじゃないよと教えてもらったんです。そのときに、自分の身体の力を抜いて新しい振る舞いを獲得していく、みたいなことの事例として、植芝盛平のことも教わりました。その山田さんのアドバイスに対するレスポンスとしても、「備えあれば憂いなしパーク」として実践することがいちばんかなと考えています。
―会期が始まると、「備えあれば憂いなしパーク」はどうなりますか。
前田:他のアーティストの作品と混同されてもまずいので、会期が始まれば、スタジオの形に改造して、妙見口駅前に設置することを考えています。そこでディレクターやアーティストたちのトークを記録するための場所や、芸術祭を楽しむための入り口になればいいなと。
―可変ロボットみたいでいいですね。ただ、パークにしてもスタジオにしても、簡単につくれるものでもないですね。
前田:そうなんです。だから、本当は会期前にもっといろいろやるべきことがあるのに、パークの建設にかかりきりで、みなさんに迷惑をかけているという状況で…。
―ダメですね。
前田:はい、ダメなんです。
ニュータウンやその境界の面白さ
―前田さんの目には、能勢はどのような地域として映っていますか。
前田:もともと小学校の頃にキャンプで来たくらいの印象でしたけど、能勢に通いはじめて気づいたのは、前田文化のある茨木ともつながっているなと。
―俯瞰で見ると、同じ北摂山系の周辺に発達してきた街なんですね。
前田:そう、山でつながっているんです。電車の路線にあわせて住宅地として開発が進められて、それ以前からあった人里も残っているというところも似ていて。けど、のせでん沿線の面白さって、ニュータウンの造成された年代ごとに街の境目があって、わりと景色がはっきりと変わること。それは、今でも通るたびに不思議な気持ちになります。
―これまでの「のせでんアートライン」では、ニュータウンエリアでの展開はそこまで行われていませんでした。
前田:僕も知らなかった。妙見口駅より手前の駅で降りることがなくて、通過点だと思ってしまっていたので。
―その面白さに気づいたきっかけって何かありましたか。
前田:今回の参加アーティストである岡啓輔さんとリサーチを進めているときに、岡さんの「蟻鱒鳶ル」(アリマストンビル)を名付けた芸術家のマイアミさんという方にも同行してもらっていて。
―「蟻鱒鳶ル」は、岡啓輔さんが自力での建設を続けている、強固なコンクリートビルディングのこと。
前田:そのマイアミさんがのせでん沿線の東ときわ台に、中学校の頃、住んでいたそうなんです。じゃあ、マイアミさんの住んでたところを見てみようって、岡さんも一緒に東ときわ台へ行って、マイアミさんが石を蹴りながら下校した道だとかを案内してもらいました。その道中、東ときわ台に裏山あって、そこで何かを考えたり遊んだりしてたという話が出たので、行ってみると、ニュータウンを見渡すような裏山からさらに先へと道が続いてたんです。
―気になりますね。
前田:先へ進んでいくと、木で覆われたトンネルのような真っ暗な山道になって、さらに歩いていけば突然、里山の景色が広がりました。それがちょっと、タイムスリップしたような経験で。マイアミさんも裏山の先にこんな風景が見られるなんて知らなかったと。そんな予期していなかった流れで、岡さんの作品プランが組み上がっていったのはすごくよかったですね。
―岡さんは「逆オンバシラ祭」と題して、巨大なコンクリートの柱をつくって、ニュータウンと山を貫く位置にみなで運び上げるという作品を予定ですね。
前田:ニュータウンと外の世界をつなぐモニュメントのようなものになればと構想されています。同じく参加アーティストの深澤孝史さんとも最初は能勢妙見山に行ってみたけど、気づけば、深澤さんはときわ台の隣りにある光風台というニュータウンに興味を持たれて、どんどん自分でいろんな人に出会ってました。住んでいる人も気づいてないような歴史を掘り出すことで、プロジェクトの形が決まってきました。
―「のせでんアートライン」の対象となる地域がアーティストによって次々掘り起こされている。
前田:そう。新しいアーティストが能勢にやって来るたびに、こんな場所もあるんだという経験が広がっていきました。結果的に、能勢妙見山へと向かう能勢電鉄の路線に対して、どんどん脇にそれたルートを提案するようなプロジェクトの内容になってきて、駅から30分歩くものもあったりして(笑)。
―そういえば、渡部睦子さんの作品紹介には、所要時間:5時間と小さく書いてありました。
前田:はい。能勢妙見山に置かれる作品を見るだけなら時間はかからないけど、渡部さんが想定する道順どおりに作品を見ていけば、4時間では足りないくらい。
―大変だ。
前田:僕がそこまで確固たるものをもって、作家に場所を割り当てていくようなことはやらなかったし、できなかったというところもあって。その代わり、のせでん沿線に住んでいる方でさえも、ほんとに行ったこともないようなポイントがたくさんあるはず。外から来られる人にとっても、能勢妙見山へと向かうルートからはずれて、思いがけない場所を見ていく体験って、きっと何かが残ると思うんです。自分の住んでいる土地に帰ったときにでも、考えることが出てくるはずで。少なくとも僕自身は能勢だけでなく、自分が住んでいる茨木のイメージが変わりました。
―どんな変化がありましたか。
前田:茨木で、前田文化という文化住宅を続けてくるなかで、分譲住宅ばかりの住宅地やタワーマンションをどこか頭ごなしに否定していたんです。その感覚は変わってきました。何も見えてなかったんだなと。
―なるほど。
前田:とにかく、山場はまだまだこれからあると思っています。会期前にできる限りの想定をし続けているだけの状況なので、これから作品が立ち上がってきて、それを体験する人がいて、というその後で、より具体的な話ができるようになるかなと思います。
―わかりました。また会期がスタートしたら話を聞かせてください。
インタビュー日・2019/09/20
インタビュアー、文・竹内厚
写真・仲川あい