のせでんアートライン2019 避難訓練

COLUMN

#8

インタビュー2019/10/24

深澤孝史インタビュー
ニュータウンと信仰のこと

深澤孝史インタビュー

ニュータウンの足もとに鉱山が

―「のせでんアートライン」のことは以前からご存知でしたか。

深澤:これまでも知り合いが何人か出品していたので、その存在は知っていました。今回、自分が参加するにあたって、2013年に参加していた劇作家の岸井大輔さんに話を聞きました。岸井さんは「能勢電を、あと100年保つために」という作品で、このあたりの神社仏閣を巡って、のせでんの未来を祈願しまくったそうです。だけど、そうした過去の記録やリサーチの成果なんかも蓄積されにくい状況になっているのが気になって…。毎回、新しいアーティストが来て、いちからリサーチするのではなくて、これまでやってきた蓄積の上でやるべきだと思うわけです。

―そのとおりですね。

深澤:だから、岸井さんに前の話を聞かせてもらって、あとは図書館に通ったり、街を歩いて、出会った人たちから話を聞かせてもらっていると、だんだんといろんなことが見えてきました。

―たとえば、どんな発見がありましたか。

深澤:ニュータウンなんだけど、やっぱりどこかで住宅地と信仰が影響しあっているところがあるなと感じます。北極星信仰の能勢妙見山や、高代寺、吉川八幡神社といった神社仏閣だけでもなくて、鎌倉時代から戦国時代にかけて、自らの生前供養として盛んにつくられた逆修仏という石仏が数多く残っていたりもして。

―逆修仏ってあまり聞かない信仰ですね。

深澤:あと、いちばん面白いと感じたのは、ニュータウンとして開発されたもともとの岩山が実は鉱山だということ。まだ鉱道跡がたくさん残っていて、安全祈願や亡くなられた人を供養する祠も結構あるんです。ちょうどのせでんの光風台駅から歩いて5分くらいの場所にも、天狗鉱山の鉱道跡があります。

―ニュータウンの足もとに鉱道がひそんでいるって、歴史の積み重ねを感じます。

深澤:ですよね。そうやって天狗鉱山に興味を持って話を聞いていると、たまたま声をかけた人が郷土史家の方でたくさん資料を見せてもらったり、いまでも無縁仏を個人的に管理されている方に出会ったり、どんどんつながっていきましたね。

―深澤さんは各地のアートプロジェクトに参加して、リサーチ経験も豊富ですけど、人に出会うためのメソッドみたいなのをお持ちなんですか。

深澤:いや、何もないですよ。普通に調べものをして、歩いている人に話しかけてみて、とか。ただの確率論(笑)。だけど、あれかな、はずれの情報ってないんです。どんな話を聞けたとしても、それはひとつの事例や情報になるので。あとは、いまの目の前のことや現在のことだけじゃなくて、ゆるく長い時間軸で場を捉えるようなことを心がけながらやってると、誰でも出会っていけますよ。

―そういうもんでしょうか。

深澤:出会うべき人に出会っているのに気づいてないだけ、とか。鉱山や信仰のことが頭の中にあるから、街を歩いたり人と話しているうちに、そのことに気づけるところもあると思う。

―それはわかる気がします。図書館で豊能町史も読んだそうですね。

深澤:隅から隅まで読むわけじゃないけど、面白いですよ。前書きとして当時の町長が書いてること(私たちの祖先の歩みであるこの町史が、皆さんに”対話の場”を提供し、ひいては町民総ぐるみでのまちづくりに必要な”心のバックボーン”の形成に寄与し、豊能町民に資するばかりでなく、国民共有の財産ともなるものであると信じます)なんて、まさに今回のプロジェクトに通じるものだなと思いました。

深澤孝史インタビュー

どうして映画で映画館なのか

―地域に積層する歴史のギャップを掘り起こしたうえで、今回、深澤さんは光風台の空き家を映画館として、映画を上映する予定だと聞きました。

深澤:そうなんです。これまでに映画を撮ったこともなくて、やり方もわからないから、どうしようって困ってるところ(笑)。

―映画にすると決めたのは深澤さんですよね。

深澤:そうなんだけどね…。

―わからないなりにも映画というメディアに目をつけたのは、どんな理由がありますか。

深澤:映画は僕も大好きですけど、そこまで映画に可能性を感じているとか、希望を持っているわけではなくて、むしろ、ひと時代前のメディアだなとは思っていて。それはニュータウンにも通じるかもしれない、とか。

―自信なさげな(笑)。

深澤:撮れないのかもしれない…いや、撮りますよ! もうすでに宮司さんや住職さん、福祉作業所で話を聞いたときの映像もあるから。…そもそも映画にしようと考えたのは、土地の歴史をただドキュメンタリーとして出せるわけではないというところもあるんです。つまり、表には出たくないという方もおられるので、一部はフィクションという形で表現できればいいなと。

―映画であれば虚実入り交じった内容にもできますね。

深澤:そうです。タイトルは「信仰住宅地」で。最高傑作の予感しかない。あとは、地域のホームビデオを集めてきて、その上映も予定しています。

―よかったです、自信が戻ってきて。

深澤:ちゃんと話をすると、信仰のことってオープンには話しにくいところがありますよね。映画の形を借りて、そこに触れるというのもひとつのテーマです。

深澤孝史インタビュー

公共性と信仰について

―信仰のこと、もう少し詳しく聞かせてください。

深澤:僕は以前から公共性みたいなものをテーマにしていて、で、自分の中では公共性と信仰って近いもの、というかつながる内容なんです。

―あまりそうは思われていませんよね。

深澤:そうなんです。それがちょっと問題だなと思っていて。まだまだ勉強中なんですけど、信仰のことが気になりはじめたのは、精神障害の施設でプロジェクトをしたことがきっかけで。

―2018年、統合失調症の人たちが通う、東京・世田谷区のハーモニーで深澤さんが開催した「かみまちハーモニーランド」。ハーモニーのメンバーから幻聴や妄想の内容をリサーチして、それを現実のものとするというプロジェクトでしたね。

深澤:妄想という言葉自体、現実がひとつしかないという前提に基づいてますよね。だけど、現実がひとつしかないって近代以降の概念で、もっと複数の現実があるのは当たり前なんだと思う。なのに現実がひとつだって決めてしまうから、そこからあぶれる人が出てきたり、現実を否定するような強迫的な観念が出てきて、悩まされる。そうやって辛い現実とのズレから生まれたのが、信仰や宗教と言われるものかなって。

―逃れられない現実に対するものとして。

深澤:で、僕は、公共性というのは、複数の現実を認めることができる場のことじゃないかと思っていて。似た言葉として、多様性がひとつの場に誰がいてもいいよということだとしたら、公共性とはその場すらも疑って、複数の視点ごとに見えるものが違う。誰も正しくないし誰も間違ってない、すごい希望もないかもしれないけど絶望もないみたいな状況のことじゃないかな。

―絶対的に中立な場みたいなことでしょうか。

深澤:うーん、そうなのかな。最低限、どんな人の発言も無視されない場かもしれない。複数の信仰を認めることで、それは福祉にもつながっていくなと思うし…そう考えると、本当の公共性をつくるって民主主義より難しいことかもしれなくて。そんな抽象的な理念を100%実現するのは無理なので、その10%でも今回のプロジェクトで実現できたらいいなと思います。

深澤孝史インタビュー

見せる必然性がないからこそ

―深澤さんにとって、ご自身の活動がアートの枠組みである理由ってどんなところにありますか。

深澤:それは、見せたり展示するというのがいいんだと思います、たぶん。僕は、ずっと展示する意味というのがよくわからなくて。だって、基本的に見せる理由や必要性ってない。でも、アーティストはそのことを通り抜けて、見せることが当たり前でいるけども、一般の人にとっては、やっぱりよくわからないと思うんです、展示する意味って。

―どうして展示しなければいけないのか、どんな必然性があるのか。考えはじめると、立ち止まってしまいます。

深澤:この話は公共性にもつながってると思うけど、だから、僕は展示することの理由を考えることが面白いんだと思う。見せる必要がない、何でもないものをただ見せるってだけでもその場が変わってくるかもしれない。見せることを考えるから、意味がついたり、つながったりもすることがあって。

―見せる理由がわからないと思っている深澤さんだからこそ、最終的に展示するというゴールがあることで、逆算的に進んでいける面もあるのかもしれませんね。

深澤:そうかも。見せることができない人だっているし、弱者とされている人のなかには、あえて見せることを武器みたいにして、社会が変わっていくことを期待している人もいる。とにかく僕は、公共性や信仰のことを土台において、そこに見せる理由を考えていくだけでも、意味が膨らんでいくような気がしています。

―最後に、あらためて今回、予定されている作品「NEW TOWN MY HOME THEATER」の内容を教えてください。

深澤:光風台にお借りした空き家に映画館をつくります。住民の方々といっしょに映画も撮ります。集めたホームビデオを上映します。この土地を取り巻く、さまざまな信仰の形、それは新しい今のものも、消えてなくなりつつあるものも共有できるような映像にして、そのことの意味を来てくれた人たちと考えていけたらと思います。

インタビュー日・2019/09/20
インタビュアー、文・竹内厚
写真・仲川あい

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